長崎人権平和資料館は9月2日より第三次改善工事のため、休館していましたが、このたび工事が終了しましたので、9月17日より通常の開館(10時ー17時、月曜日休館)となっています。工事に伴い、1階の「外国人被爆者コーナー」および2階の「日本軍『慰安婦』コーナー」は一部展示の更新・変更を行っています。
NPO法人長崎人権平和資料館 理事長 崎山 昇
当資料館は、会員の皆さんをはじめ多くの支援者の皆さんのご協力で、2024年4月1日、長崎人権平和資料館として再出発しました。
再出発に至る経緯
当資料館は、1995年10月1日「岡まさはる記念長崎平和資料館」として設立されました。しかし、資料館の名称に冠していた平和運動家の故・岡正治が、生前、性暴力に及んでいたことが、被害者の方の証言により明らかになりました。
理事会の中には2020年の時点で情報を得ていた者がいたにも関わらず、対応が遅れたことについて理事会として被害者の方に深くお詫びをしました。その上で、当資料館はいかなる性暴力も容認しないこと、今回の件を受け、資料館の名称変更や展示の見直しを含む対応を行っていくこと、そのために資料館を2023年10月10日以降、しばらく休館すること、当資料館の社会的責任としてこの事実を公表すること、被害者のプライバシーを守り、二次被害の防止に努めることを表明しました。
その後、2023年11月19日に第21回総会を開催し、今後の対応として、館名の変更や展示内容の見直しを行った上で、2024年4月1日の再出発をめざすことが確認されました。館名の変更については、「岡まさはる記念長崎平和資料館」を「長崎人権平和資料館」に変更する「第7号議案 定款の変更に関する事項(名称の変更)」を出席正会員の4分の3以上の多数で議決しました。そして、展示内容の見直しについては、「岡正治記念コーナー」「高實康稔さんコーナー」を中心に展示内容を理事会で検討すること、「設立の趣旨」については、定款の目的を踏まえて「当資料館の目的」に変更することが確認されました。
館の名称の変更については、総会後手続きを進め、12月7日に「長崎人権平和資料館」に名称を変更する定款の変更が認証されました。
展示内容の見直しについては、12月5日に、理事会に加え、希望する会員にも参加していただき「展示検討会」を立ち上げ、2024年3月15日までに7回開催し展示内容の検討を重ねました。また、理事会メンバーを含め会員や受付ボランティアの皆さんに性暴力について理解を深めていただくとともに、展示内容について説明するため、3月3日に「性暴力についての学習会・展示説明会」を開催しました。学習会の講師は、性暴力問題に詳しい梁・永山聡子さん(社会学者、ふぇみ・ゼミ運営委員、成城大学グローカル研究センター、1923関東朝鮮人大虐殺を記憶する行動事務局)にお願いし、「人権活動家の性暴力を許さない社会とは?だれもが犠牲にならない活動を目指して」と題してお話をしていただきました。その中で、梁・永山さんは2023年11月のふぇみゼミ&カフェで担当していた講座「ポスト#MeTooの性暴力運動 組織運動社会」の最後を「岡正治氏の性加害の対応がこの先の社会運動の明暗を分けるかもしれない」と締めたという話をされました。梁・永山さんのお話を伺い、被害者の方の告発や思いを無駄にすることなく、今回のような過ちを再び繰り返さないようにし、資料館の活動を通して、性暴力を許さない社会に変えていく、再出発をそのような一歩にしたいと思いました。そして、資料館の活動を若い人たち、次の世代へつなげていけるような再出発にしたいと思っています。
具体的な展示内容の見直し作業は、3月23日・24日と、3月31日に展示検討会のメンバーで行い、4月1日の再出発を迎えることになりました。
基本理念
これまでは、「被害者の痛みを心に刻み 戦後補償の実現と非戦の誓いを」としてきました。今回の件を受けて、理事会や展示検討会で議論を重ね、「人権保障なくして平和なし」という観点から、「人権保障」を加え、以下のとおりとしました。
被害者の痛みを心に刻み
人権保障と戦後補償の実現
そして非戦の誓いを
資料館のめざすもの
「設立の趣旨」については、定款の目的を踏まえて「当資料館の目的」に変更することになりましたが、「資料館のめざすもの」として資料館1階に展示しています。
戦争や原爆の悲惨さはいつまでも深く胸に刻み、これを風化させてはなりません。しかし、悲惨な結果を招いた原因が、残虐の限りをつくした日本のアジア侵略にあったこともしっかりと心に刻む必要があります。受けた苦しみの深さを知ることが、与えた苦しみの深さも知ることにつながらなければ、平和を築くことはできません。
日本の侵略と戦争の犠牲となった外国の人々は、何ら報われることなく見捨てられてきました。加害の歴史は隠されてきたからです。加害者が被害者にお詫びも補償もしないという無責任な態度ほど国際的な信頼を裏切る行為はありません。
核兵器の使用が正当化されれば再び使用される恐れがあるのと同様に、無責任な態度が許されるのならば、再び戦争が引き起こされる恐れがあります。
この人権平和資料館は、史実に基づいて日本の加害責任を訴えようと市民の手で設立されました。政治、社会、文化の担い手は、たとえ小さく見えようとも一人ひとりの市民です。当館を訪れる一人ひとりが、加害の真実を知るとともに被害者の痛みに思いを馳せ、一日も早い戦後補償の実現と非戦の誓いのために献身すること、そして反核・反戦・反差別・平和の実現と相互の人間連帯に寄与することを願ってやみません。
展示内容の見直し
展示内容については、以下のとおり見直しました。
(1)性暴力に及んでいたため「岡正治記念コーナー」を撤去しました。
(2)個人を記念する展示ではなく被害者に寄り添う展示とするため「高實康稔コーナー」も撤去しました。
(3)1階正面右側に「当資料館がめざすもの(前述)」「当館の名称変更に至る経過」を展示し、「平和と人権」コーナー(人権なくして平和なし)を新設しました。
①平和と暴力、②平和への歩み、③平和を創る、など。
(4)2階「岡正治記念コーナー」「高實康稔コーナー」の跡に、「継続する差別・人権侵害」コーナーを新設しました。
ア 「岡正治記念コーナー」の跡には、「性差別と性暴力」コーナーを新設しました。現代社会や個人の意識に根づく性差別、性暴力や二次加害という人権問題について考えます。性暴力問題に直面した当資料館の経験と反省も共有すします。自らの経験と反省を踏まえ、日本社会における性暴力の改善につながる展示とします。
①展示の概要と目的、②差別の実態(現在作成中)、③性暴力とは何か(現在作成中)、④性暴力を取り巻く状況と性暴力事案(現在作成中)、⑤二次加害とは何か、⑥社会運動の中の性暴力(現在作成中)、⑦長崎人権平和資料館における性暴力事案への対応と経験の共有と反省
イ 「高實康稔コーナー」の跡に、「消え去らないこの国の植民地主義」コーナーを新設しました。私たちが住む社会では、日本が植民地支配してきた国や地域・民族に対する差別的な感情や、日本以外の国や地域にルーツのある人たちに対する排他的な意識・行動が跡を絶ちません。当資料館ではこのような継続する植民地主義に向き合います。
①「消え去らない植民地主義」とは?②在日コリアン/在日中国人:戦後の在日コリアンと日本社会、氾濫する「嫌韓・嫌中」書籍、「ウトロだから生きてこれた」、差別にさらされ続ける「ウリハッキョ」、③入国管理制度:外国人差別と入国管理制度、大村入国管理センター、④台湾/東南アジア:台湾、東南アジア、⑤関東大虐殺:蔑視・憎悪・排外主義が招いた大虐殺、関東大虐殺と現在、⑥長崎に見る差別:長崎の部落問題、二重の差別(被爆者差別と部落差別)、など。
(5)2階「戦後補償コーナー」を充実し、「清算されていない過去─日本の戦後補償の現状」としました。
①BC級戦犯問題、②徴用工問題、③在外被爆者問題、④靖国・忠魂碑問題、⑤ドイツとの比較、など。
(6)「そして、いま私たちは・・・」コーナーに「現在を生きるあなたの声を聞かせてください。」というスペースを新設しました。来館者が資料館を見学した後にポストイット(付箋紙)にそれぞれの思いを書いて貼ることができるスペースです。長崎大学の学生が希望を持てる感想を残してくれています。いくつか紹介します。
「今まで日本が被害者であると原爆の授業を通して思ってきました。しかし、朝鮮、中国からしてみると日本は十分に被害を与える側であったことを知ることができました。日本人は自分も含めてもっと原爆を落とされたという結果だけではなくその過程に目を向ける必要があると感じました。」
「政府は今も真実から目を背けている。しかし、我々がその真実を忘れず、次の世代にも伝えていくことが、いつしか起こる変化につながると私は信じている。できることからやっていこう。」
「今まで、学校では習ったことがないような事実、目を背けたくなるような事がまだたくさんあるんだと思った。戦争のない平和な世の中を実現する。」
「生まれてから約19年、ずっと平和学習をやってきて、その多くが日本での被害についてだった。自分の国がどんな事を行ったのかもっと目をむけてみようと思うきっかけとなった。非常に良い学びとなりました。」
「現在でもクローズアップされるのは日本が被害を受けた事実ばかりだから加害者としての面にも目を向けるべき。」
「日本の被爆についてはたくさん学んできたが、日本がやってきたことについては今回初めて学んだ。改めて戦争はしてはいけないものだと実感した。」
再出発にあたって
再出発して、1か月、4月の入館者は長崎大学の学生や韓国から団体、欧米系の人たちなど250人を超えました(昨年4月の入館者は164人)。
今回の性暴力問題を受け、展示内容の見直しによって、新たに「性差別と性暴力」コーナーを設けました。日本の植民地支配・侵略戦争の被害者の痛みを心に刻み、戦後補償の実現と非戦の誓いをと訴えてきた私たち自身が、性暴力の被害者からの告発を放置するという過ちを犯しました。その後、自己反省し、対応してきました。その過程は決して易しいものではなく、被害者と共にあろうとすることはどういうことなのかを考えながら、議論しながら、ときには自分たちの認識の低さを自覚させられながら、少しずつ進んできました。この過ちを含めたこれまでの行いと、その背後にあった意識を明らかにして他の社会運動や来館者の方々の学びの機会とし、そして同じ過ちを繰り返さないための反省としています。
再出発にあたって、当資料館は、これまでどおり史実に基づいて日本の加害責任を訴え、当館を訪れる一人ひとりが、戦後補償の実現と非戦の誓いのために献身することをめざすとともに、日本社会における性暴力問題の改善、二次被害の防止につながるようにと決意を新たにしています。
皆さんのご支援とご協力を心からお願いいたします。
※以上、長崎人権平和資料館会報「西坂だより」111号(2024年4月発行)より
展示の一部変更などを行い、長崎人権平和資料館として4月1日から再開しました。