私たちの資料館では開館当初から「朝鮮人強制連行問題」は大きく取り扱っていました。そもそも資料館を作ろうという発想の原点は、朝鮮人被爆者問題であり、その背景としての強制連行であったからです。しかし、「中国人強制連行問題」に関しては、「朝鮮人強制連行」の場合とは異なり、自分たちで実施した実態調査の積み重ねも乏しいこともあり、まとまった形では展示していませんでした。
1999年になり、「長崎の中国人強制連行の真相を調査する会」が結成され、端島・高島・崎戸における実態調査、その後中国へ渡っての数度に及ぶ聞き取り調査が実施されるに至りました。これらの資料をもとにして、2000年に行った資料館の大幅な展示リニューアルにおいて、新たに作られたコーナーです。朝鮮人強制連行とはまた背景の異る「中国人強制連行」の実態を展示してあります。
趙五十さん(中国河北省定州市在住)
1944年9月7日早朝、日本軍に村を包囲され、縄でしばられ、口から水を流し込む拷問を受けた上に軍刀で腹を刺された。抵抗もできず、農民であるのに八路軍(共産党軍)「捕虜」として長崎県北松浦郡の日鉄鹿町炭鉱に強制連行された。48年後、再び鹿町の地を踏み、呉福有さんら仲間の命と自分の青春を返せと声を詰まらせた。